NO MORE LIES

けふはからりと 天気もいいんだし
わけもなく わたしは童話の世界をゆく、
日は うららうららと わづかに白い雲が わき
みかん畑には 少年の日の夢が ねむる

皇陵や、また みささぎのうへの しづかな雲や
追憶は はてしなく うつくしくうまれ、
志幾の宮の 舞殿にゆかをならして そでをふる
白衣の 神女は くちびるが 紅い

 当日は自分は手習いが済むと八ツ半から鎗の稽古に往ッたが、妙なもので、気も魂も弓には入らずただ心の中で,「もウ来たろうか?」と繰り返していた。稽古が済むと、脱兎何のそのという勢いでいきなり稽古場を飛び出したが、途中で父の組下の烏山勘左衛門に出遇ッた。
 勘左衛門は至ッてひょうきんな男ゆえ、自分ははなはだ好きであッて、いつも途中などで出遇う時にはいい同行者だと喜んで、冗談を言いながら一しょに歩くのが常であッた。今日も勘左衛門は自分を見るといつもの伝で,「お坊様今お帰りですか?」とにっこりしたが、自分は「うむ」と言ッたばかり、ふり向きもせず突ッこくるように通り抜けたが,勘左衛門はびっくりして口を開いて、自分の背を見送ッていたかと思うと、今でもその貌が見えるようで。

歴史は勿論帰納的に事実を研究せざるべからずと雖も小説も亦決して事実を離れたる空想なりとは言ひ難きのみならず、時としては小説の却つて歴史よりも事実に近きことなきに非ず。此故に小説は決して事実の研究、科学的の穿索なくして書き得べきものに非ず。然るに之に命ずるに純文学てふ空名を以てし、不研究なる想像の城中に立籠らんとするは卑怯なりと云ふに在りき。其頃より透谷の友人と僕の友人との間には自然に思想の鴻溝を生じ、僕の友人は透谷等と思想の傾向を同くするものを目するに高蹈派を以てし、透谷と思想の傾向を同ふするもの僕等を形而下派と罵るに至れり。